世の中は九分が十分

7年の不妊治療とか、横浜市保活激戦区での保活のこととか、日々の愚痴とか。ジーナ式で育児してるので?今んとこ育児はイージーモードです!?

7年の不妊治療を振り返る③~辛かった時期~

こんにちは。giraffeです。7年の不妊治療を経て出産したムスメを、横浜市の保活激戦区で育てながら、ジーナ式にて育児に取り組んでいます。今回は7年間の不妊治療を振り返る3回目です。

 

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不妊治療をしている間は、辛い気持ちになることなんて山ほどありました。友人や同僚が妊娠したとき、お子さんは?って聞かれたとき、家族親族の集まり、街中で楽しそうな子連れ家族とすれ違ったとき、年賀状がきたとき、治療がうまくいかなかったとき。数え上げれば正直きりがない。その中でも何度か、とても辛かったり、やりきれなかったり、苦しかったりしたタイミングはこんなときでした。

 

まずは、不妊治療を始める前。前回の記事にも書きましたが、"不妊治療のクリニックとか行ってみたい"と相談しても、生返事の夫。毎月やってくる生理と、そこに追い打ちをかけるように、姉が子宮体癌で子宮を全摘出。なんとも言えない恐怖と焦燥感。このままでは子どもはできないかもしれない、でも手立てがない。周りはどんどん妊娠しているのに、こんなこと悩んでいるのは私だけなのかもしれない。なのに夫は真剣に考えてくれない。若き日の私は家出をし(笑)夫に思いのたけをぶちまけるメールを送り(ウザい)家に連れ戻され(ごめんなさい)、そのまま長時間の話し合いの末、治療を開始することとなるのですが、それでもなお、不安で気が重くて、仕方なかった。でも初めてクリニックの待合室に入った瞬間の気持ちを今でも覚えています。こんなに待ってる人がいる。悩んでいるのは私だけじゃないんだ、って。

次に、タイミングから人工授精へステップアップする直前。夫は元々、人工授精以上してまではちょっと…という感じだったので、ダラダラと2年程タイミングをしていた訳ですが、さすがにステップアップしたい…でも夫は首を縦にふらない…という、なんていうか、ものすごく停滞している感じがして辛かった。もっとできることがあるのに、今ならまだ(年齢的に)より可能性があるのに、夫の協力なくしては進めないもどかしさ。この時は、主治医が夫に、私の身体への負担・治療によって妊娠率がどれくらい上がるか、クリニックの統計で何回目の治療で何割が妊娠できているか、などの説明を懇切丁寧にしてくれたことで解決しました。主治医によると、男性が治療を躊躇する原因のひとつに、妻の身体にどれだけ負担がかかるか心配、だとか、具体的に数値で示されないとイメージがしずらい、などがあるようです。

また、初めて移植をした時も辛かった。なんだかとんでもないことをしてしまった気がして、すごくナーバスになりました。医療に介入されて受精したモノを身体にいれた。神の領域をおかした、みたいな。すごく後ろめたかったし、怖いと思った。誰にも言いたくなかったし、これっきりで成功してほしいと思った。ら、その日義母と会っていた夫は(義母から誘われた食事の日が移植日と重なり、私はクリニックへ、夫は食事へ行った)、義母にしつこく赤ちゃんのことを聞かれ、不妊治療をしていて、実は今日体外受精移植をしている、と話したと帰宅後に聞き、感情が爆発。号泣して怒鳴りちらしました。後にも先にも結婚生活で私が夫に怒鳴ったのはこの時だけです。後々ちゃんと話を聞いたら、"俺たちはちゃんと考えてる。だから二度と口出しするな"と義母に釘をさしてくれてた訳なんですが…

その数日後、近しいひとが妊娠したことを知った時も辛かった。これは多分、↑の気持ちを引きずっていたから。それに加え、"不妊治療してたからすごく嬉しくて"と言われたけれど、聞いたら、治療期間はごくわずかで、内容はタイミングだった。その話を聞いた日は運悪く判定日で、初めての移植でかなり期待してクリニックに行ったものの、見事に撃沈した夜だったから尚更。夫は、おめでとう、って言えた私を褒めてくれたなぁ。

そして、人工授精1回目→採卵1回目→採卵2回目・(新鮮胚)移植1回目→採卵3回目・(凍結胚)移植2回目と立て続けに進めたため、貯金がどんどん減っていく様子を目の当たりにしたとき。あまりの減り具合、こんなにお金をつぎ込んだのに、何一つ成果がない。何を、、、しているの??と。このお金で旅行に行けた。おいしいものが食べれた。夫はあれが欲しそうだけれど買ってない。何をしてるんだろう、って。お金が減っていく、しかも得られるものが無く、湯水のように消えていくだけなのは、本当に心が荒むことでした。

あとは、体外受精にステップアップし、(少量投薬の自然周期だった為、採卵日や移植日が直前にならないと決定せず)予測をたてて有休を取る、ということに限界を感じ、上司に不妊治療をしていることを打ち明け、その為急な欠勤を認めてほしいと相談をしたとき。職場の人間になんて、絶対に言いたくないと思っていた。同情してほしくなかったし、欠勤対応なんていい気分なわけないから、迷惑がられると思っていたから。それに体外受精に対して自分自身がまだ後ろめたかったので。結果としては、この時相談して本当に良かったんですけどね。この後私が妊娠するまで協力体制を整えてくれた上司には、本当に感謝しています。

 

こう見ると、多分体外受精へステップアップした前後は本当にナーバスだったと思います。高度不妊治療、っていうくらいですから当たり前っちゃ当たり前なんですが、実感としては、人工授精と体外受精には、金銭的にも精神的にも肉体的にも非常に大きな隔たりがありました。そんな体外受精も何度もトライすると、採卵も移植も陰性だっていう結果も、辛いんだけれど、感覚が鈍っていくというか…(そうでもしないとやってけないというか)それでも時折クリニックの帰りに、道すがら人目も憚らず涙を流すこともあったし、夫の前で大声出して泣くこともありました。そりゃそうですよね。だって、こんなにも自分の努力やお金ではどうにもならない・頑張りに見合った結果が得られないことなんて、それまでの人生でなかったわけですから。