世の中は九分が十分

7年の不妊治療とか、横浜市保活激戦区での保活のこととか、日々の愚痴とか。ジーナ式で育児してるので?今んとこ育児はイージーモードです!?

7年の不妊治療を振り返る⑫~不妊治療の終結と自己肯定感の回復~

こんにちは。giraffeです。7年の不妊治療を経て出産したムスメを、横浜市の保活激戦区で育てながら、ジーナ式にて育児に取り組んでいます。7年間の不妊治療を振り返るお話は、今回が結びとなります。

 

giraffe2272.hatenablog.com

 

心から喜べなかった妊娠期間を経て、ようやく産声を聞いた瞬間感じたことは、“やっと終わった”、という気持ちでした。長かった不妊治療がやっと終わった。元気な産声が聞こえた。ようやく無事に産まれてきた…

でもその感慨深い感じも長くは続かず、その後もしばらくの間、ちゃんと息をしているだろうか、ちゃんと目覚めるだろうか、SIDSにならないだろうか、死なせないようにしなくては、とか、必要以上の不安に駆られることが度々ありました。それは産後のホルモンバランスのせいでもあったと思いますが、やっぱり、心から喜べなかった妊娠期間同様、目の前の娘が何事もなく成長すると、素直に信じることができなかったのです。 

そうして何ヶ月か経った頃、クリニックより出産報告に対するお返事のお手紙が届きました。産院へ転院する際、”無事に産まれて、やっと卒業だと思ってるからね"と言ってくれたクリニックの院長。お手紙には、お祝いとねぎらいの言葉が書いてあって、あぁ、私は本当に卒業したんだな、しっかりやっていかなきゃな、と思い娘を抱きしめたら、途端にボロボロと涙が出てきました。その時に、本当に呪縛のようなものから解き放たれた気がします。きっと私の不妊治療は、ここで本当に終わったのです。

 

それでも今でもふと不安に駆られ、別室で寝ている娘が息をしているか、ベビーモニター越しに凝視したりします。きっと、"また悪いクジをひいてしまうかもしれない"というような感覚は、長かった不妊治療を通して染み着いてしまったから、なかなかなくならないのでしょう。それだけ心は傷つき、自信を失って来たのです。でも少しずつ、ただ目の前で元気に遊んで、泣いて、甘えてくる娘の姿に、匂いに、からだや髪のやわらかさに、失ってきたものが埋められていっている気がします。

それに先の見えない不妊治療をしてきたからこそ、育児のあれこれ(新生児期の頻回授乳や、睡眠リズムが安定するまでの夜中のお世話、泣いて寝ないだとか、何しても泣き止まないだとか)に対して、終わらないはずがないしそれすらかわいい、とかなり楽に構えられてきたし、きっとこれからもそうできるような気がしています。どんなに泣いたって、機嫌が悪くたって、手を焼いたって、こちらが疲れていたって、そこに存在しているだけでいいと、本気で思ってる。不妊治療をしていた7年間に比べたら、なんだってたいしたことない、と感じられるのです。

 

私たち夫婦は、色んな幸運が重なって不妊治療を諦めずに続けることができ、そして最終的に無事に娘も誕生しました。けれど周りにいる誰かは、不妊治療を諦めたひとかもしれない。自分のタイミングでなく、終結せざるをえなかったひとかもしれない。続けても続けても、まだ授かっていないのかもしれない。世の中には色々なひとがいて、こちらの何気ない一言でも傷つくことがある、ということを身をもって経験して、ひとの痛みが少しはわかるようになったからこそ、あまり普段は今までの思いとか、今の思いを口にすることができなかった。だけど、もうすぐ育休が終わって復職して、忙しく過ごす日々が始まる前に、いろんな気持ちや感じたことを、残しておきたかった。7年間の自分を労うために。

 

とにかく見づらく、とりとめのない振り返りだったけれど、長いことお付き合いいただきありがとうございました。ひとまず不妊治療の振り返りは、これで結びとなります。

7年間、よくがんばったね、自分。本当におつかれさま。